欲しくて、憧れて、探し求めていたレンズ CarlZeiss Makro-Planar 2/50
実は購入してから約半年、全く使用していない。どうした私。
購入して満足してしまった

私はCarlZeissが大好き。
「ツァ」の響きが好き。
CarlZeiss Makro-Planar 2/50
CarlZeissの中でも、素晴らしいレンズを探して必ず辿り着くレンズの1つだと勝手に持っている。
クラシックな鏡筒、24cmまで寄れる、描写も素晴らしいらしい。(使ってないから分からない)
すでにこのレンズは生産終了していて、現在ではMilvus 2/50Mという前衛的なデザインの後継レンズが発売されている。
個人的好みではあるが、先代のクラシックなデザインの方が好ましい。
この先代モデルは現在購入したいと思っても、なかなか状態の良いレンズが中古市場に出回らない。
「いつか買いたい」
その思いだけが自分が思っているよりも大きくなりすぎてしまったのかもしれない。
タイミングも悪かった

購入したのが昨年末。
それから年が明けて、娘の中学受験で大忙し。
そして引っ越し。
そして靭帯断裂。
そして現在、コロナウイルスによるステイホームである。
大きなカメラとレンズを提げて、撮影しようという気持ちが失せてしまった。(もともとそんなに撮影してない)
とはいえ、売る勇気も持てず

売ろうと何度も思った。
そもそも、私が所有しても「わらび餅」程度のモノしか撮影しない。
しかし、未だに売れずにいる。
きっと売ったら後悔する気がするから。
○○なのに良く写る
すごく偏屈な考え方なのだが、どうやら私は
- 古いのに良く写る
- 小さいのに良く写る
- 安いのに良く写る
のようなレンズの方が好きらしい。
現在、イチバンのお気に入りレンズである「CarlZeiss Flektogon 2.4/35」はその典型例である。
Makro-Planarは、素晴らしいレンズ過ぎて家宝になっている感ある。
いつか撮りたいと思う日まで

言い訳ばかり言わずに使えば?と思われるだろう。
使われないレンズが可哀想とも思われるだろう。
でも、心から「使いたい」って思う日が来るまで待ちたい。
欲しい!って思う気持ちだけが先走って、使いたいって気持ちが置いてきぼりなのである。
いつもなら新しくレンズを購入したら嬉々として使い、喜びに溢れるのだが、そのタイミングを逃してしまった。
こんな気持ちは初めてだ。
これが買い物依存症ってやつなのだろう
今回、購入しただけで満足してしまった。
このレンズは、どのレビューを見ても素晴らしい評価ばかり。
それに釣られて、自分の使用用途を鑑みずに購入した。まさに買い物依存症そのものである。
買い物依存症を治したい。
このレンズを購入して本当に良かったと思えるよう、この十字架を背負っていきたい。